佐賀地方裁判所 昭和54年(行ウ)4号 判決 1982年9月10日
伊万里市栄町番地不詳
原告
木須春次
右訴訟代理人弁護士
元村和安
伊万里市西円造寺
被告
伊万里税務署長
八尋太
右指定代理人
小林秀和
同
山下碩樹
同
宮本吉則
同
前田勇之助
同
犬塚孝
同
柳瀬清泉
同
中村程寧
同
田中秀昭
右指定代理人
深松智
主文
一 本件訴えをいずれも却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
一 被告が、いずれも昭和五〇年三月一日付でなした原告の昭和四六年分ならびに昭和四八年分所得税の更正処分および過少申告加算税の賦課決定処分、昭和五一年三月九日付でなした原告の昭和四七年分所得税の更正処分および過少申告加算税の賦課決定処分(但し、いずれも異議決定によって一部取消された後のもの)は、いずれもこれを取消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
第二請求の趣旨に対する答弁
一 本案前の答弁
主文同旨。
二 本案の答弁
(一) 原告の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第三請求原因
一 原告は昭和四六年、同四七年、同四八年分の所得税につき、その税額を別紙(一)の<1>欄記載のとおり申告したところ、被告は請求の趣旨一記載の日に、それぞれ税額を別紙(一)の<2>欄記載のとおりとする旨の更正処分および、別紙(一)の<4>欄記載の額の過少申告加算税を賦課する旨の決定処分をなした。
二 原告はこれを不服として昭和五〇年三月一日付の処分については、同年五月一日付で、昭和五一年三月九日付の処分については、同年五月一日付で、昭和五一年三月九日付の処分については、同年四月七日付で、被告に対し異議申立をなしたところ被告は前者については昭和五〇年七月八日付で、後者については、昭和五一年七月七日付で、それぞれ、税額を別紙(一)の<3>欄記載のとおりとし、過少申告加算税額を別紙(一)の<5>欄記載のとおりとする旨の異議決定をなした。
三 原告は、前記異議決定後の各原処分について、なお不服があったので、昭和四六年分ならびに昭和四八年分については昭和五〇年七月二六日付で、昭和四七年分については昭和五一年八月一日付で国税不服審判所長に対し審査請求をなしたが、国税不服審判所長は、三月を経過した現在に至るまで裁決をしない。
四 しかしながら原告の各年度の税額は前記申告のとおりであるから、被告の前記各処分(但し、いずれも異議決定によって一部取消された後のもの)の取消を求める。
第四本案前の抗弁
本件訴えはいずれも法定の出訴期間を徒過した不適法な訴えである。
その理由は以下のとおりである。
一 国税不服審判所長は、本件各課税処分(各異議決定を経た後のもの)に対する原告の審査請求について、昭和三五年二月一六日付でいずれも棄却の裁決(以下「本件裁決」という。)をなし、福岡国税不服審判所長は、本件裁決書謄本にその送付書を付して昭和五三年二月二二日書留郵便にてこれを原告に発送した。
したがって、右書留郵便の到達に通常要する日数である二、三日を経過した後である同月二四日ないし二五日までには本件裁決書謄本は原告に送達されたものである(国税通則法一二条二項参照)。
二 もっとも、その後右送付書の名宛人を「木須春次」と記載すべきところを誤って「伊万里税務署長」と記載していたことが判明したため、念のため、新たに名宛人を正しく記載した送付書を作成し直し、これを同年四月三日書留速達郵便にて原告に発送し、右書留速達郵便の到達に通常要する日数である二、三日を経過した後である同月五日ないし六日までには右新送付書は原告に送達された。
なお、従前の送付書は、原告から返送され、同月一〇日伊万里税務署においてこれを収受している。
したがって、本件裁決書謄本の送達の際付した前記送付書の名宛人の誤記は、何ら本件裁決謄本の送達の効力を左右するものではないというべきであるが、仮に右の暇疵により、前記二月二四日ないし二五日の段階では本件裁決の送達が有効になされていなかったものとしても、右の四月五日ないし六日の新送付書の送達により、右暇疵は治癒され、遅くとも右同日までには本件裁決書謄本は有効に送達されたものである。
三 しかし、行政事件訴訟法一四条一項、三項及び四項によれば、処分取消訴訟は、これに対する裁決があったことを知った日から起算して三ケ月以内に提起しなければならず、又裁決の日から起算して一年を経過したときは提起することができないものであるところ、仮に本件裁決書謄本が有効に送達された日が前記昭和五三年四月五日ないし六日であると解するとしても、右同日が、本件各取消訴訟の出訴期間の起算日である本件裁決があったことを知った日、または本件裁決の日であるから、昭和五四年一一月二八日に提起された本件各取消訴訟が、いずれも法定の出訴期間を徒過した不適法な訴えであることは明らかである。
第五本案前の抗弁に対する認否及び主張
一 第四の一中裁決があった事実は不知、裁決書謄本が原告宛送達された事実は否認する。同二中真正な送付書が原告宛送達された事実は否認する。
二 仮に本件裁決があったとしても、原告はその事実を知らなかったのであるから、行政事件訴訟法一四条三項但書の「正当な理由があるとき」に該当する。
第六請求原因に対する認否
一 請求原因一の事実は認める。但し、昭和四七年分の所得税につき申告した税額は三万六三〇〇円でなく三万六〇〇〇円であり、昭和四六年分の所得税につき賦課した過少申告加算税額は四三万一七〇〇円でなく、三四万一七〇〇円が正しい。
二 同二の事実は認める。但し、昭和五〇年三月一日付でなした原告の昭和四六年分及び四八年分所得税更正処分ならびに過少申告加算税賦課決定処分についての異議申立てに対する被告の決定は、昭和五〇年七月八日付でなく、昭和五〇年七月三日付が正しい。
三 同三中「国税不服審判所長は、三月を経過した現在に至るまで裁決をしない。」との点は否認し、その余は認める。
四 同四は争う。
第七証拠
一 原告
(一) 甲第一ないし第三号証。
(二) 証人木須恵美子、原告本人。
(三) 乙第六号証、第七号証の一ないし三、第九及び第一一ないし第一六号証の各一、二、第一七ないし第二〇号証、第二一及び第二二号証の各一ないし三の成立はいずれも認め、第三号証の二及び第四号証の一はいずれも郵便官署の受付スタンプ部分の成立を認め、その余の部分の成立は不知、その余の乙号各証の成立は不知。
二 被告
(一) 乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第三号証の一ないし三、第四号証の一、二、第五及び第六号証、第七号証の一ないし三、第八号証の一ないし八、第九号証の一、二、第一〇号証の一ないし四、第一一ないし第一六号証の各一、二第一七ないし第二〇号証、第二一及び第二二号証の各一ないし三、第二三号証の一、二。
(二) 証人渡辺富子(第一、二回)、同出口和之。
(三) 甲号各証の成立を認める。
理由
一 本案前の抗弁に関する争点
請求原因一及び二の事実はいずれもほぼ当事者間に争いがない(細かくいうと、請求原因一の税額及び同二の被告の決定の日付の各一部に争いがあるが、この点の相違は本案前の抗弁に関する争点についての判断において、特段の意味を持たないので、これ以上触れないこととする。)。そして、同三も「国税不服審判所長は、三月を経過した現在に至るまで裁決をしない。」との点を除き、当事者間に争いがない。
そうだとすれば、本件課税処分取消訴訟の出訴期間は右審査請求に対する裁決があったことを知った日から三ケ月以内であり(行政事件訴訟法一四条一項、四項)、そして「裁決があったことを知った日」とは現実にそれを知った日をいうものと解すべきであるから、本案前の抗弁に関する争点は、(1)請求原因三の審査請求に対する国税不服審判所長の裁決が内部的に成立しているがどうか(2)裁決が内部的に成立しているとして、その裁決書謄本がいつ原告に送達(外部的成立)されているかにしぼられる。以下順次検討する。
二 裁決の内部的成立の有無
方式、趣旨より成立を推進しうる乙第一号証の二と前記当事者間に争いない事実とによれば、請求原因三の審査請求に対し、国税不服審判所長は昭和五三年二月一六日付で、いずれも棄却の裁決(本件裁決)を内部的に成立せしめていることが認められ、これに反する証拠はない。
三 送達(外部的成立)の有無と時期
(一) 裁決の送達方法
課税処分についての審査請求に対する国税不服審判所長の裁決は裁決書の謄本を審査請求人に送達して行なうこととされ(国税通則法一〇一条一項、八四条三項)、その送達は郵便による送達または交付送達により、その送達を受けるべき者の住所又は居所(事務所及び事業所を含む。)に送達するものとされている。(同法一二条一項)。
そこで、本件裁決書謄本が原告宛送達されたか否かを具体的に検討する。
(二) 郵便による発送と宛先
前掲乙第一号証の二に、証人渡辺富子(第一、二回)の証言により成立を認める乙第三号証の一及び三並びに乙第五号証、郵便官署の受付スタンプ部分の成立は争いなく、その余の部分の成立は右証言(第一回)により認める乙第三号証の二、証人渡辺富子(第一、二回)及び同出口和之の証言を総合すれば、本件裁決書謄本は、当時福岡国税不服審判所の文書発送収受係担当職員であった渡辺富子が原、被告の双方にあてて、但し、原告宛の場合、封筒表面に「伊万里市松島町二六二番地」の「木須春次」と記載し、書留郵便にて、昭和五三年二月二二日同時に発送する手続を福岡合同庁舎内郵便局においてとっていること、被告宛の本件裁決書謄本は昭和五三年二月二四日到着していることが認められ、これに反する証拠はない。そして、証人出口和之の証言によれば、通常書留郵便物については引受けて配達するまで種々の厳重なチェックを経てなされ、その間に紛失等の事故があれば直ちに調査をし、差出人にも連絡することになっていることが認められるから、本件書留郵便物についてもこれを引受けた郵政省職員が右宛先に配達を完了するまでの手続をとったことが推認され、これを覆すに足りる証拠はない。
(三) 宛先(伊万里市松島町二六二番地)の適法性
成立に争いない甲第三号証(住民票)、乙第六号証(別件における原告の供述調書)、第七号証の一ないし三(本件審査請求書)及び本件記録に編綴されている本件訴状及び原告作成名義の訴訟委任状にはいずれも原告の住所は「伊万里市松島二六二番地」と記載されていることが認められるから、同所が原告の住所であるとの推認もできないではないが、証人木須恵美子の証言及び原告本人尋問の結果によると、昭和五三年二月頃原告とその妻は既に同所から約二キロメートル離れた伊万里市栄町番地不詳に転居していたこと、従前の住所には息子夫婦が居住し、その電話番号は三局二八〇七番であり、転居先の電話番号は三局四五四六であることが認められ、前掲乙第七号証の一ないし三(本件審査請求書)の電話番号欄にも「三局四五四六番」と記載されていることが認められること等を併せ考えると、右推認は動揺をきたし、他に右宛先を原告の住所と認めるに足りる証拠はない。
しかしながら、前掲乙第六号証と原告本人尋問の結果によると、原告は長年ブルドーザーを四、五台所有して土木建設業を営み、右宛先を事務所としていること、その経理関係は同所に居住する原告の息子の嫁である木須恵美子が担当していること、もし、右宛先に原告宛の郵便物が配達されれば右息子夫婦のいずれかがこれを受取り、これを直ちに原告のところに持ってくるようになっていたことが認められること、また、前記認定のとおり原告は本件審査請求書に右宛先を自己の住所として記載しているところからすれば、当然その裁決書謄本が同所あてに送達されることは容易に予想されるところであるから、原告は同所に裁決書謄本が送達され、同所に居住する息子夫婦がこれを自己のために受領することを承認していたものと考えられること、これらの事実に本項冒頭掲記の各書証を併せ考察すると、右宛先が、国税通則法一二条一項にいう原告の「事務所」に当ると解するのが相当であるから、前記した渡辺富子のとった本件裁決書謄本の原告宛送達を書留郵便に付する送達方法によったことは、同条項の規定に沿った適法な送達手続ということができる。
(四) 送達日
1 送達の推定
国税通則法一二条二項によると、郵便による送達の場合その郵便物は、通常到達すべきであった時に送達があったものと推定されるものであるところ、前記認定のとおり本件裁決書謄本は福岡市内の郵便物に差出され、伊万里市の前記原告の事務所あてに送達されたものであるから、当時郵便事情が悪化したなどの特別の事情の認められない本件においては本件裁決書謄本は、発送日の二、三日後である昭和五三年二月二四日、二五日頃には同所に配達され、送達手続が完了したものと推定するのが相当である。
2 反対立証の有無
証人木須恵美子及び原告本人は右日時頃、本件裁決書謄本の配達を受けたことはない旨供述するのであるが、この供述部分を、両名の身分関係、右証人の当該供述部分のあいまいさ及び成立に争いない乙第一一ないし第一六号証の各一、二、乙第一七ないし第二〇号証、乙第二一及び第二二号証の各一ないし三、証人渡辺富子(第二回)の証言より成立を認める乙第二三号証の一、二並びに証人出口和之及び同渡辺富子(第二回)の各証言に対比すると、その通り措信するのは困難であり他に右1の推定を覆すに足りる証拠はない。
3 送付書の名宛人の書き間違いと裁決書謄本の送達の効力
(1) 裁決書謄本の送達と送付
国税不服審判所長が裁決書謄本を審査請求人に送達するときは、原処分庁にもこれを送付しなければならないとされている(国税通則法一〇一条二項)。そして、南博方編「注釈国税不服審査・訴訟法」(第一法規出版株式会社発行)の三九五頁によれば、審査請求人に対する送達及び原処分庁に対する送付の際には、いずれも別紙(二)の様式の書類を用い、印刷された不動文字以外の空白部分に必要事項を記載し、送達と送付の個所は必要部分を残して、裁決書謄本に添付する取扱いになっている。(以下、別紙(二)の様式の書類を「添付書類」といい、特に審査請求人に対するそれを「送達書」、原処分庁に対するそれを「送付書」という。)
(2) 添付書類の書き間違い(送り違い)と効力
証人渡辺富子の証言(第一回)により成立を認める乙第一号証の一及び三、第二号証の一、二及び同証言(第一回)によれば、本件裁決書謄本が本件審査請求人たる原告宛郵送に付されるに際し、添付書類として本件原処分庁である被告宛の送付書(乙第二号証の一)が同封され、本件裁決書謄本が原処分庁たる被告宛郵送に付されるに際し、添付書類として原告宛の送達書(乙第一号証の一)が同封されていたこと、即ち、本件裁決書謄本に付けられるべき添付書類である原告宛の送達書と被告宛の送付書とが、入れ違えて同封されていた(これを原告宛の添付書類のみに限っていえば、書き間違いということになる。)ことが認められる。
しかし、添付書類はその体裁及び趣旨からみて裁決書謄本の一部をなすものとは解されず(右渡辺証言(第一回)によれば、添付書類と裁決書謄本との間には契印をしない取扱いになっていることが認められる。)、また、前記認定のとおり、本件裁決書謄本を入れた封筒の表書きは原告宛となっており、本件裁決書の内容自体からも原告に送達されて然るべき文書であることは明らかであり、また前記渡辺証言(第一回)によれば、原告は右の如く宛名の間違った送付書を付した裁決書謄本を受取りながら、これを直ちに返送等の措置をとることなくそのまま所持していたこと、従って原告も右裁決書は自己あてに送達されたものと了解してこれを受領していたことがうかがわれること、などからすれば右添付書類の書き間違いは原告に対する本件裁決書謄本の送達の効力を左右するものではないと解するのが相当である。(尤も、添付書類の書き間違いの程度が著しく、審査請求人に対する裁決書謄本の送達があったと解するのを相当でないとする等の特段の事情があれば別であるが、本件では右事情を認めるに足りる証拠もない。)
(3) 新送達書の郵送
但し、添付書類たる審査請求人に対する送達書に書き間違いがあれば、裁決書謄本の送達の効力に影響を及ぼすと解する余地もないではない。
ところで、前掲乙第一号証の一、三、乙第二号証の一、二、乙第七号証の一ないし三、及び郵便官署の受付スタンプ部分の成立は争いなく、その余の部分の成立は証人渡辺富子の証言(第一回)により成立を認める乙第四号証の一、同証言(第一回)により成立を認める乙第四号証の二並びに同証言(第一、二回)によれば、被告宛の本件裁決書謄本に付されていた添付書類が原告宛の送達書(乙第一号証の一)になっていることを被告から昭和五三年四月一日連絡を受けて知った前記渡辺富子は、原告宛郵送済みの本件裁決書謄本にすべき添付書類が被告宛の送付書になっていたのではないか、即ち、原告宛送達書と被告宛送付書を入れ間違ったのではないかとの疑念を抱き、原告が本件審査請求書に記載原告宅の電話番号である伊万里局の前記三局四五四六番宛電話を入れ、応対に出た女性に対し添付書類が原告宛の送達書でなく、被告宛の送付書(乙第二号証の一)になっていることを確かめ、その送付書のみの被告宛転送を依頼したこと、その後渡辺富子は新たに原告宛の送達書を作り、それと被告宛送付書(乙第二号証の一)の被告宛転送用の速達封筒に速達用切手を貼ったものを同封し、間違いを詫び、右送付書の転送の依頼をしたためて、同年四月三日書留速達郵便にて前記松島町の原告事務所宛発送したこと、その後被告宛の右送付書(乙第二号証の一)は同年四月一〇日被告に到達していることが認められ、これに反する確たる証拠はない。
してみれば、本件裁決書謄本の添付書類たる送達書は遅くとも同年同月五、六日頃には原告事務所宛配達がなされ、送達も完了しているものと推認するのが相当である。
とするならば、仮に送達書の書き間違いが裁決書謄本の送達の効力に影響を及ぼすと解する立場に立っても、本件における送達書の書き間違いという暇疵は右五、六日頃には治癒され、遅くとも同日頃までには本件裁決書謄本は有効に送達されたものと解するのが相当である。
(五) 原告が本件裁決を知った日
裁決書謄本が郵便により配達された以上、特段の事情なき限り、配達日に裁決があったことを知ったものと認めるのが相当である(最高裁第二小法廷昭和二七年四月二五日判決、民集六巻四号四六二頁参照)から、前記認定の事実によれば、原告は遅くとも昭和五三年二月二五日頃までに本件裁決を知ったものと認めるのが相当であり、仮りに、送達書の書き間違いが本件裁決書謄本の送達の効力に影響を及ぼすおそれがあるとの見解に立っても、新しい適式の送達書が原告宛郵送され、それが到達した同年四月五、六日頃には、右暇疵も治癒され、従って同月六日頃までには原告は本件裁決を知ったものと認めるのが相当である。
原告本人は、本件裁決書謄本の送達はうけていないから、その内容は一切知らない旨供述するが、前記のとおり、右送達が認められ、しかも特段の事情を認めるに足りる証拠のない本件では、右供述部分を措信することは困難であり、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(六) 出訴期間の徒過
本件課税処分取消訴訟の出訴期間は裁決のあったことを知った日から三ケ月以内である(国税通則法一一四条、行政事件訴訟法一四条一項、四項)から、前記認定したところによれば、本件訴訟の出訴期間は、昭和五三年五月二四日頃、若しくは同年七月五日頃までということになる。よって、これを一年六ケ月余、若しくは一年四ケ月余も徒過した本件訴訟(この提起日が昭和五四年一一月二八日であることは、本記録より明らかである。)は、出訴期間を徒過した不適法な訴えといわざるを得ない。
四 「正当な理由」(行政事件訴訟法一四条三項但書)の有無
行政事件訴訟法一四条三項但書の「正当な理由」による例外規定は、同項本文の出訴期間のみについて認められるものであって、先に検討してきた同条一項の出訴期間については認められないのみでなく原告の主張(第五の二)は「裁決の事実を知らなかった」ことを前提にしているところ、前示のとおり原告は本件裁決を知っていたものと認められるのであるから右主張は前提において理由がなく、失当というのほかはない。
五 結論
以上の次第であるから、原告の本件訴えはいずれも不適法として却下を免れない。よって訴訟費用につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 網脇和久 裁判官 簑田孝行 裁判官 大塚正之)
別紙 <省略>
別紙(一)
<省略>